6.キャンパスへ突撃

妄想の彼女 美和子

結局、悪夢にうなされて夜中に目が覚めてから明け方まで眠れなかった隆志は、朝食もとらずに美和子が通う大学のキャンパスへと向かった。まだ朝早いので電車も空いていて、駅から大学へ向かう道も閑散としていた。時計をみるとなんとまだ6時半だった。
(ちょっと早すぎたな)
大学まで行ってみると思った通り正門は閉まっていて、隆志は仕方なくキャンパスの近くで見つけた24時間営業のカフェに入ることにした。
季節は夏から秋へと移り始めていて、通りの街路樹の葉が早くも色づき始めている。吹き抜ける風も、夏の熱風から爽やかな秋風に変わっていた。そんなカフェの街頭のテーブルに座ってコーヒーを飲みながら、隆志はぼんやりと通りを眺めていた。
隆志はなぜ、こんなにも慌てて美和子に会いたいのか。それはカトーが言った、美和子が渋谷で一緒にいた相手が宮下と聞いたからだった。高校の同級生である宮下はバスケット部のキャプテンで、高身長のイケメン、しかも成績もよかった。もちろん女子にも大人気で、堂々のクラス1軍男子なのだが、ただ宮下は陰に回ると、弱い者を執拗にからかったり、笑いものにしたりする、いけ好かない奴だった。隆志は同じクラスになったことがないので直接被害を受けたことはなかったが、宮下が不遜で態度がデカいことは学年の男子の間では有名な話だった。
さらに宮下には黒い噂があった。高校二年の時に、宮下と同じクラスの茂手木千里という女の子が夏休み明けから突然学校に来なくなり、そのまま退学してしまったのだ。その原因が親の転勤による転校とか、あるいは引きこもりの果ての登校拒否とか、そういうことであれば想定される範囲の出来事なのだが、実は真相はとんでもない話だった。
高2の夏休み明けのファミレス会議で、突然、新吉が切り出した。
「おい知ってるか。茂手木のこと…」
「茂手木って誰?」
女子事情に疎いカトーがぼやっと聞いた。
「となりの組の茂手木千里だよ。結構可愛いよね」
隆志がそうフォローすると、新吉が続けた。
「そう可愛い子だよ。ところが、どうもその茂手木がやられちゃって、妊娠したあげく、夏休みに子供をおろしたらしい」
「ええ、嘘だろ」
カトーが驚いた。
「いや本当のことみたいだよ。それがショックで学校を変わったらしい」
新吉が真剣な顔で答えた。
「ふーん。でも何で転校するんだ。黙ってりゃわからないだろ」
カトーが不思議そうな顔をした。
「だからさ、妊娠の相手が同じクラスの奴なんだよ」
「うそ、誰だよ」
驚いた隆志に、新吉が得意げな顔でいった。
「相手は、お子ちゃまの隆志君とは違うモテ男だよ。…バスケ部の宮下だよ」
「ええ、そうなのか。でも、相手が宮下となるとありそうな話だな」
そういうカトーに新吉がかぶせぎみに答えた。
「だろ。これは本当の話だと思うぜ。噂ではバスケ部でエロ雑誌を回し読みしてた時、宮下がグラビアページのヌードを指さして、茂手木のオッパイってこんな感じでアイツ隠れ巨乳だぜ、っていったらしいから。しかもその後に、どうやってか親ぐるみで話をもみ消したらしい…。つまり宮下は相当腹黒いぜ」
結局、卒業するまで、その話の真偽は分からなかったが、宮下にまつわる黒い噂として学年の一部の生徒たちの記憶に残った。そんな宮下と美和子が一緒に歩いていたと聞いて、隆志は気が狂いそうになったのだった。
(ともかく確かめて、もし本当だったら、宮下の黒い噂を話して一刻も早く別れさせなきゃダメだ)
隆志は思いつめていた。

やがて通りがにぎわい出し、大学に向かう学生たちの群れが見え始めた。その群れに混ざって、隆志も大学の門をくぐった。そして気の良さそうな男子学生をつかまえると、文学部の校舎の場所を教えてもらった。
首尾よく美和子の通う文学部の校舎にたどり着いた隆志は、校舎の入口に続く道に面した場所にベンチを見つけ、そこに座った。大勢の学生たちが校舎を目指してやってくるが、その場所なら美和子も目の前を通るはずなので、容易に見つけられると思った。
ベンチでやって来る学生たちの群れを眺めていると、文学部のせいか隆志の通っているキャンパスに比べ断然女子率が高く、華やかな感じがした。なかには結構可愛い女の子もいて、隆志はちょっとドキドキした。
(見ているだけでも楽しい大学だな)
隆志は、どうせなら文学部にすれば良かったと後悔した。
その時、道の向こうに美和子の姿が見えた。新吉の言う通り、大勢の学生の中でも美和子は際立っていた。もしこの大学でミスキャンパス・コンテストをやったら、美和子は間違いなく優勝するだろうと隆志は思った。
今日の美和子は足に張り付くようなスリムなジーンズに白いTシャツを着ていて、その上にサンドベージュのフード付きのブルゾンを羽織っていた。ブルゾンの袖を肘あたりまで無造作に腕まくりしていて、白いスニーカーで颯爽と風を切って歩いてくる美和子は、スポーティでカッコよく、隆志は思わず見とれてしまった。もちろんよく見ればゆったりとしたブルゾンの下で、バインが揺れていた。
突然、美和子が隆志に気づき、驚いた表情を見せた。そして軽く手を振ると、隆志のもとへ小走りにやって来た。
「どうしたの新谷君。驚いたよ。こんなところで何してんの?」
「いや、山本を待ってたんだよ」
「ええ、なんで」
美和子は驚き顔で、隆志の隣に座った。
「いい大学だね」
「ありがとう」
隆志の言葉に美和子がにっこりと笑った。
「うちのキャンパスに比べると、断然女子の数が多くて、華やかで楽しそうだね」
「へー、女子が多いだなんて、新谷君もそういうとこ見るんだ」
美和子がニヤニヤしながらからかってきた。
「そりゃ、男なら誰だってそう思うんじゃないの」
「ふーん、男子はみんなそうなんだ。それで用事はなに?」
隆志はどうやって話を切り出そうか戸惑ってしまい、ちょっと口ごもった。
「どうしたの?せっかく来たんだから、言いたいことを早く言いなよ」
そう優しい口調で聞いてきた美和子に、隆志は思い切って話の口火を切った。
「実は先週の日曜日に新吉たちと会ったんだけど、その時にカトーが渋谷で山本を見たって言ってた」
「へえ、そうなんだ。確かに先週の金曜日かな、渋谷に行ったよ。私は加藤君に気が付かなかったけど」
「それでその時、山本が山下と一緒だったって…」
「ははは、そうだね。山下君と歩いてたね」
あっさりと美和子が認めるので、隆志はがっかりした。
(やっぱりそうか)
隆志は急に元気がなくなってきた。
「…それがどうかしたの?」
美和子が無邪気に聞いてきた。
「どうもしないけど、まさか山本が山下と付き合っていたとは知らなかったから、驚いて…。実は今日は、山本が山下と付き合っているかどうか聞きにきたんだ。…オレってバカみたいだね」
隆志は自虐的にヘラヘラ笑った。
「待ってよ。確かに一緒に渋谷にいたけど、私は山下君とはつきあってないよ」
「でもカトーが二人は手をつないでたって」
「嘘言わないでよ」
突然、美和子が怒り出した。
「噂するのは勝手だけど、嘘は言わないでよ。私は山下君とは手なんて、絶対に繋いでないから。新谷君はどっちを信じるの?」
「信じるよ。山本を信じるよ」
「でしょ。加藤君は見間違えているんだよ。その日、渋谷のスクランブル交差点で山下君に声をかけられて、ちょっと並んで歩いただけ。私はマルキューのところで右に曲がったし、山下君はライブハウスに行くとか言って、そのまま坂を上っていった。というか彼が話した話の内容は、ほとんど上の空で聞いていたから、覚えてないよ。だって、あの山下だからね」
「あの山下って?」
「千里のことだよ。茂手木千里さん」
「…ああ、その噂は少し聞いたことあるけど、本当だったの?」
「彼女に近かった女子はみんな知ってるし、巡り巡って、おそらく学年の半分くらいの女子は知ってると思うよ。一度たった噂は止められないからね。でも千里は騙されて、無理やりされて、捨てられて、本当に子供をおろしたんだから。そのうえ、学校までやめて…。なんで千里ばっかりひどい目に合うんだろうって、私たちは本当に頭にきたんだ」
美和子は凄い剣幕で怒った。
「そんな山下と、私が手を繋ぐわけないでしょ。加藤君に言っといて、無責任に変な噂を流さないでって。もう腹が立っておさまらないよ」
「わかったよ。ごめんね、変なこと言っちゃって」
「それになんで新谷君がそれを確かめにくるの?文句があるなら加藤君が来ればいいじゃない」
「そうだよね。でも正確にはカトーは関係ないんだ。オレが勘違いして来ちゃったんだ。迷惑かけてごめんね」
もう隆志は怒っている美和子の顔をまともに見ることが出来なかった。気まずい沈黙が二人を包んだ。
「話がないなら帰れば」
ついに美和子がそう言い放った。
「そうだね。本当にごめんね」
そういうと隆志は力なく立ち上がった。
(ああ最悪だ。オレはなにしてんだろ。今すぐ消えてしまいたい…)
隆志はとぼとぼと、正門に向かって来た道を戻っていった。

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