21.希望の明日

しず子の純情

首尾よく大検に合格したマサシは、来春の大学受験を目指して、会社を辞めることになった。
「マサシは大学で何を勉強したいの?」
しず子の問い掛けに、マサシはしばらく考えて、答えた。
「将来のことを考えると、定年がない長くできる仕事がいいと思うのです。そうなると弁護士か医者を目指そうかと思います」
「医者か弁護士って、凄いことを簡単に言うね。でもマサシならなれるよ。どっちかといえばマサシは口下手だから医者の方がいいと思うけど」
「しーちゃんもそう思いますか。ボクも理系の方が得意なので、医者を目指そうかと思います。でも医学部は難しいですからね」
「大丈夫だよ。マサシは美芳さんのことを天才って言ってたけど、高校を辞める前のテストはマサシが一番だったんでしょ。美芳さんが、マサシがぶっちぎりで一番だったって言ってたよ」
「そうですけど」
「西高は、毎年四、五人は東大に行くらしいじゃない。普通だったらマサシは東大なんだよ。だから医学部なんて楽勝だよ」
「しーちゃんが大丈夫って言ってくれると、受かりそうな気がしてきました」
「頑張って勉強してよ。私がずっと隣に座って励ましてあげるから」
「いや、しーちゃんが隣にいると、つい勉強をさぼりたくなります」
「バカ」
しず子はマサシの言う意味が嬉しくて、赤くなった。
翌年の三月、マサシは無事に地元の国立大学の医学部に合格した。大検から医学部に合格したことで、マサシはちょっとした町の有名人になった。
しず子も嬉しかった。しかし実は医学部を勧めてみたものの、ひょっとしてマサシが美芳さんと同じ学校に行くのではないかと、しず子はちょっと心配もしていた。
(医者の一人娘で頭もいいし、美芳さんは絶対に医学部に行く。マサシと一緒になるのはいやだな。やっぱりマサシには弁護士を勧めればよかった)
しかし風の噂で、美芳さんは東京にある大学の医学部に進学したらしく、しず子の心配は杞憂に終わった。もう美芳さんのことは忘れようと、しず子は心に誓った。
「ねぇ、マサシ。お婆ちゃんに報告に行こうよ」
「いいですよ。でも、その前に市役所に行って、婚姻届を出しませんか?」
「そうだ。忘れてたね」
マサシが一八歳になったら婚姻届を出すはずが、当人たちはもちろん、周囲の大人たちもすっかり忘れていた。
「あとこれを、しーちゃんにあげます」
そう言ったマサシが貯金通帳を出してきた。
「これはボクがお父さんにもらったものです。お婆ちゃんが残してくれたお金だそうです。しーちゃんにあげるのを、すっかり忘れていました」
「ありがとう。大事に使おうね」
しず子は心から喜んだ。しかしマサシは小さな嘘をついていた。しず子に今まで貯金通帳を渡さなかったのには訳があったのだ。それをマサシはまだ内緒にしていたのだった。
三月の終わりの日曜日は小春日和だった。、しず子はマサシとリュウと一緒に市役所で婚姻届を出し、その足でマサシのお婆ちゃんのお墓にお参りした。
(心配かけましたけど、マサシが医学部に合格しました。結婚もしました。子供もいます。名前は龍之介です。マサシに似て賢そうです。これからアタシも頑張って、リュウを育てながら働いて、マサシが立派なお医者さんになるように応援します。お婆ちゃん、アタシは本当に幸せです。マサシを育ててくれて、本当にありがとう。今日からアタシは内村しず子です。これからも宜しくお願いします)
長いお祈りを終えると、しず子はマサシの方を見た。マサシは喜ぶ子犬のような顔で、その腕の中で龍之介も笑っていた。
(アタシたちは世界最強のカップルだ。二人に出来ないことなんてないよ)
しず子は立ち上がると、マサシに微笑みかけた。
「しーちゃんにプレゼントがあるんですよ」
そう言ったマサシがポケットから小さな箱を取り出した。
「なに?なにをくれるの?」
箱を受け取り、なかを開けたしず子は、叫び出したいくらいに喜んだ。そこにはお揃いの結婚指輪が入っていたのだ。
「しーちゃんに貯金通帳を渡す前に、ちょっと使いました」
「いいよ。そんなこといいよ。凄く嬉しいよ。マサシ、ありがとう」
二人はお墓の前で、お互いの指に指輪をはめあった。
しず子は再びお墓に手を合わせた。
(お婆ちゃん。指環をありがとうございました。アタシ、マサシのお嫁さんになれて本当に嬉しいです)
しず子はそう祈り終わると立ち上がって、マサシの目を見つめて言った。
「ねぇ、マサシ。学校が落ち着いたら車の免許をとってよ」
「いいですよ」
「それでアタシとリュウをドライブに連れてって」
「いいですよ。ドライブに行きましょう」
「約束だからね」
そういうとしず子はマサシの手をとって、指切りをした。
(マサシ、本当にドライブに連れて行ってね。そしたらアタシ、その時に絶対スカートを履く。マサシの好きなミニスカートを履くからね)
帰り道、ベビーカーを押すマサシの二の腕にとりついたしず子が、マサシの顔を横からのぞき込むようにして言った。
「ねぇ、マサシ。今日からしーちゃんって呼ぶのを止めて」
「どうしてですか?」
「だってしーちゃんは草壁しず子だもん。アタシは今日から内村しず子だから、もう、しーちゃんはおしまいになったの」
「じゃあ、なんて呼べばいいんですか?」
「決まってるじゃない。しず子って呼んでよ」
マサシが喜ぶ子犬のような顔でうなずいた。
考えてみればしず子はまだ二十歳そこそこだ。人生は始まったばかりで、その未来は喜びに満ち溢れているに決まっていた。   (終)

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