十月の初めは、夏が一瞬戻って来たかのような暑い日が続いた。
その日の夕方、朝から調子が悪かった沙希子は会社から帰ってくるなり玄関で倒れ込んだ。タモツが駆け寄ると顔色が真っ青だった。慌てて額に手を当てると凄い熱だった。
「おい、どうした?」
タモツの呼びかけにも、沙希子はうっすらと目を開くだけだった。タモツは沙希子を抱き上げるとベッドに運んだ。
「早く横になれ」
タモツは沙希子の服を脱がすと、パジャマに着替えさせ、布団の中に沙希子を横たえた。
「氷を買ってくる」
とりあえず濡れたタオルを沙希子の額に当てると、タモツは部屋を飛び出した。
沙希子は遠ざかるタモツの足音を聞きながら、恐怖に身を凍らせた。
(また、置き去りにされる)
それは両親が死んだ次の年の冬のことだった。色々なことが重なって体調を崩した沙希子はインフルエンザに罹ってしまった。這うようにして病院に行って、治療を受け、薬を貰った沙希子は倒れそうな眩暈に堪えながら家に戻ってきた。両親のいなくなった家はガランとしていて無意味に広く、沙希子にとっては廃屋のようだった。激しい風の音が、家のどこからか巻き起こってくる。このままひとりぼっちで死ぬかもしれないと思った時、とてつもない恐怖が沙希子を襲ってきた。布団の中に潜り込んで、沙希子は大声を上げて泣いた。
熱で体中が痛かった。
(助けて、誰か助けて)
でも応えてくれる人はいなかった。まるで世界中から見捨てられてしまったように、沙希子はひとりぼっちだった。熱と痛みと恐怖に震えながら、沙希子は一晩中泣き明かした。
タモツが出て行った瞬間、あの時と同じ思いが再び沙希子を襲ってきた。同じような熱と痛みと恐怖に震え、沙希子は泣きだした。
(私はいつもひとりぼっちだ)
朦朧となる意識の中で、涙がどんどん溢れてきた。
突然、ドンと大きな音がして寝室のドアが開くと、タモツが飛び込んできた。
「エレベーターが止まってやがって、階段上がってきた。遅くなってごめんな」
タモツは息を切らせながらビニール袋に氷を入れにタオルを巻きつけると、沙希子の額に当てた。冷たい感触が心地よかった。さらにタモツは氷を小分けにすると、タオルで巻いて沙希子の脇の下に差し入れた。
「姉ちゃんちのガキが熱を出した時に、医者がこうやれって言ってた」
タモツの言う通り、脇の下の氷の冷たさが全身に回るようで、沙希子は少し楽なったような気がした。そしてうとうとと眠りについた。
どのくらい時間がたったのだろうか。沙希子は体中が痛くて目が覚めた。
「気持ち良さそうに寝ていたからそっとしておいたけど、ちょっと体温を計ろうよ」
タモツがどこから見つけてきたのか体温計を取り出して、沙希子の口に咥えさせた。
「三八度超えてるぞ。沙希子、救急車を呼ぼう」
「いいの、大丈夫」
沙希子が力なく答えた。救急車を呼ばれるのも、病院に行くのもいやだった。沙希子はそこに行ったら二度と帰って来られないような気がしてならなかったのだ。
「じゃあ、着替えよう」
タモツに手伝ってもらって、沙希子は汗でびしょびしょのパジャマと下着を替えた。タモツが冷たいタオルで身体を拭いてくれるのが心地よかった。新しいパジャマに着替えると、沙希子は少し元気が出た。
「ありがとう。ごめんね」
タモツは沙希子の言葉を聞くと、いきなり沙希子の身体をタオルケットで包みだした。
「やっぱり病院に行かなきゃダメだ。オレが抱いて連れてってやる」
タモツは軽々と沙希子を抱き上げると、部屋をあとにした。
タクシーで病院に行く間、タモツは沙希子を膝の上に抱えて励まし続けた。沙希子は朦朧として、うなずくだけだった。タモツの心臓の音が沙希子の耳に心地よく響いていた。
病院の待合室のソファに横たえられて、沙希子は遠くでタモツが怒鳴る声を聞いていた。
「もし沙希子が死んだら、お前も殺すからな」
救急外来のそっけない対応にタモツが怒りを爆発させているようだった。
診察の結果、沙希子は風邪をこじらせ肺炎の一歩手前だったが、命に別条はなかった。抗生物質と解熱剤とブドウ糖の点滴をうけると、空きベッドがないので家に帰されることになった。タモツの分厚く温かい胸に抱かれて、沙希子は家に戻った。
ベッドに横になると、額と脇の下にタモツが氷を当ててくれた。今の沙希子はたとえ相手がタモツでも、そばで人の気配がするだけで心が休まった。沙希子は安心して眠りについた。
目が覚め、手を額にやると氷がひんやりと冷たかった。タモツは寝ずに看病し、定期的に氷を替えていたのだ。沙希子が目を覚ました気配にタモツが顔をのぞきこんできた。
「大丈夫か?」
「うん、だいぶ良くなった」
「熱を計ろう」
体温は三七度台まで下がっていた。どのくらい眠っていたのか、沙希子は見当がつかなかった。
「いま何時?」
「朝の七時だよ」
「会社行かなくちゃ」
「ダメだ。今日は休め」
タモツが重湯を作ってくれた。初めて飲んだ重湯は、どうやって作るのか沙希子には見当もつかなかったが、身体にしみるように美味しかった。タモツが用意してくれて、沙希子は薬を飲んだ。
会社に病欠の電話をすると、沙希子はトイレに立った。ふらふらする沙希子をタモツが支えてトイレまで連れて行ってくれた。
寝室に戻ると、着替えを手にしたタモツが言った。
「パジャマを着替えよう」
「いいです。大丈夫」
「いまさら恥ずかしがることないだろう。変なことしないから安心しろ」
(そうだ。この人は私の秘密をいっぱい知ってるんだ)
沙希子はタモツに身を任せた。タモツは沙希子の丁寧に身体を拭いて、着替えさせてくれた。それは昨日着ていたパジャマだった。
「洗って、アイロンしてあるから気持ちいいだろ」
「ありがとう」
タモツは一睡もせずに、買い出しから洗濯までフル回転で活躍したのだった。
「もう大丈夫だから、あっちでゆっくり寝て下さい」
「いいよ。見ててやるよ」
「風邪がうつる」
「大丈夫。オレは、風邪はひかないらしい」
「どうして?」
「…バカだから」
沙希子が思わず笑った。タモツは初めて沙希子の笑い顔を見た。口角がすっと上がって口がハート型に開き、白く可愛らしい歯並びが見えた。タモツはその愛らしさに胸が張り裂けそうになった。もっと笑顔が見たくて、タモツは必死に話をつないだ。
「小学校の担任に言われた。学級閉鎖になっても風邪をひかないのはオマエがバカだからだって。昔からバカは風邪をひかないんだって」
「その先生ひどいね」
「オレの父親と兄貴は町で有名な乱暴者だから、うちの一家は学校では嫌われ者なんだ。それだけ悪かった兄貴も今は漁師やってるけどね」
沙希子は初めてタモツの家族の話を聞いた。
(そうだよね。この人にだって家族はいるんだ。ひとりぼっちなのは私だけだ)
「いいから横になってろよ」
タモツにうながされて、沙希子は横たわった。
「ねぇ、ひとつお願いがあります」
「なに」
「眠るまで手をつないで」
沙希子の思いがけない頼みに、タモツはドキリとした。
「い、いいよ」
タモツはぶっきらぼうに答えると、布団の中に手を入れて、沙希子の小さな手を握った。タモツの大きくて分厚い手のひらに包まれて、沙希子は安心して眠りについた。あれほど疎ましかったタモツの手が、今の沙希子には心強かった。タモツは顔を真っ赤にして、まるで小鳥を抱くように、沙希子の手をやさしく握り続けた。
結局、沙希子は大事を取って一週間会社を休んだ。食事が重湯からお粥になり、雑炊になる頃に、沙希子は体力を回復していた。タモツの作るものはどれもとても美味しかった。
沙希子の風邪が治るまで、タモツはずっと沙希子のベッドの下に陣取り、夜は床に直に寝ていた。そして沙希子が眠る時は必ず手をつなぎ、沙希子が起きるまで握り続けた。
一度、タモツが買い物に行くときに、沙希子は思わず「早く帰ってきてね」と言いそうになった。そんな自分に沙希子はびっくりした。
病気を境にタモツと沙希子の関係が微妙に変化した。
相変わらず会社から帰ってくると、タモツは沙希子を風呂に入れた。沙希子の身体を丁寧に洗うのだが、沙希子をいたぶるようないやらしいことを一切しなくなった。用意されている部屋着も沙希子が持っていたパジャマになった。つける下着も沙希子が会社に行くときと同じ、タモツが買いそろえた普通のものに変わった。
食事はもちろん、掃除や洗濯はタモツが受け持ち、食器もタモツが洗った。食事の後は二人でソファに並んで座ってテレビを見た。沙希子の好きな番組を、タモツは沙希子に触れることもなく黙って見ていた。
ベッドの中では相変わらず、タモツは沙希子を毎晩求めた。しかしそれは今までのようにいやらしい場所を無理やり攻めるのではなく、沙希子の全身をやさしく包みこむものに変わった。身体を二つ折りにするような屈辱的な姿勢も要求しなくなった。その代りに、沙希子が知らなかった喜びをもたらす場所を次々に開発していった。
例えば膝から股の付けまで太腿の内側を指で掃くようにされると、沙希子は驚くほど濡れた。膝の裏側を舐められた時や足の指を口に含んでしゃぶられた時は、下半身が麻痺して動かなくなるほどだった。背骨を上から下へ舐められて、尾骶骨の付近に舌を這わせられるのも震えがくるほどの快感だった。そして極めつけはお尻だった。タモツが十本の指でお尻をやさしく撫で続けると、沙希子はその刺激に我慢が出来ず、ついに股間の膨らみをベッドに擦りつけるように自ら腰をうねらせるのだった。
左の乳首と同様に、これらの敏感な場所を丹念に攻め続けると、沙希子はみずから膝を立てて太腿を小さく開き、最後の仕上げに舐めて欲しい場所を無言でねだるようになった。両方のわき腹に指をそよがせながら、タモツが花びらの中の敏感な場所をやさしく舐めると、沙希子はすぐに追い上げられて、喜びの声を上げるのだった。
こうして沙希子を幾度かの喜びにやさしく導き、沙希子が疲れ、満足すると、タモツは沙希子の手を握って寝かしつける。沙希子は喜びの余韻の中で、そのまま溶けるように眠るようになった。
タモツはなぜか沙希子の中に入ることをやめてしまった。その代わりに沙希子の眠りを守ろうと、沙希子の手を一晩中握り続けるのだった。
沙希子は安心に包まれて、毎晩よく眠った。朝になって沙希子が目覚めると、タモツは沙希子と手をつないだまま、決まって床に直に寝ていた。
沙希子はタモツの変貌に戸惑いながら、ほんの少し淋しい気持ちになった。タモツのもたらす喜びの波に漂いながら、実は沙希子は無意識のうちにそこにあるべき形を探して、お尻の穴を喰い締めていたのだ。そして、そんなことをしてしまう自分に戸惑っていた。
一方、毎晩、沙希子の全身に唇を寄せながら、タモツは沙希子の全てを記憶に焼きつけようと思っていた。一夜ごとに沙希子への愛おしさがつのった。しかしそれは、いずれ心の中に封印しなければならない感情だった。