19.告白

しず子の純情

今年も残すところあとわずかになったある朝のことだった。
「ちょっと聞きたいことがあるんですけど」
いつものように朝食をとっている時に、マサシがそう切り出した。
「なに?」
「どうしてしーちゃんは、スカート履かないんですか?」
しず子はドキリとした。
「理由なんてないよ。嫌いだから。どうしてそんなこと聞くの?」
しず子は心の中を悟られないように、聞き返した。
「しーちゃん、スカートも似合うのにって思ったからです」
「マサシはアタシがスカート履くのを見たいの」
「はい、見たいです。しーちゃんは長くて綺麗な足をしているから、絶対にカッコいいと思います」
「いやだ。絶対に履かない」
しず子はテーブルの上の食器を片づけると、マサシを無視して洗い物にとりかかった。スカートを履かない理由は明らかだ。でも、しず子はそれをマサシに言う勇気がなかった。
その日の昼過ぎに、しず子は自転車に乗って駅前まで買い物に出掛けた。安定期に入ってからは、しず子はそれまで自重していた自転車に乗るようになった。母親に言わせると妊婦としての自覚が足りない、ということだが、しず子はおかまいなしだった。
(自転車で転ぶなんてありえない)
さほどお腹がせり出してないしず子は、当たり前のように自転車で出かけるのだった。
駅前で買い物を済ませたしず子は、その帰り道に突然、呼びとめられた。
「すみません。ひょっとして草壁しず子さんじゃないですか」
自転車を止めて振りかえると、そこに森下美芳が立っていた。黒いブーツを履いて、花柄のワンピースに赤い厚手のカーディガンを羽織った美芳さんは相変わらず美しく、小鹿のようなつぶらな瞳をくりくりとさせながら、周りが華やぐようなオーラを放っていた。
「そ、そうですけど…」
しず子はすぐに美芳さんだと分かったが、先方はしず子とは初対面と決めつけているらしいので、とぼけてみることにした。
「私、港西高校で内村君の同級生だった森下です。もしお時間があれば、少しお話がしたいのですが」
美芳さんは若い男の子なら大喜びしそうな笑顔で、しず子をお茶に誘って来た。
(話って、アンタに話はないけどな)
そう思いながらも、ちょっと興味をそそられたしず子は、美芳さんと喫茶店に入った。
その晩、部屋の電気を消した後、しず子がベッドに寝たまま、布団の中のマサシに話しかけた。
「今日、駅前で偶然、森下美芳に会ったよ」
「そうですか」
マサシが興味無さそうな返事をした。
「美芳さんに誘われて、コーヒーをごちそうになった」
「へぇー」
マサシが驚いた。
「ねぇ、マサシ。アタシに隠していることあるでしょ」
マサシが黙った。
「合宿の話、美芳さんに聞いたよ。美芳さん、マサシに告白して振られたんだってね」
「ごめんなさい。黙っていて…」
「美芳さん、かなりショックだったみたい。でも、マサシがアタシを妊娠させて学校を辞めたから、それで納得したって」
「それは話の順番が違います。森下さんを断った時には、しーちゃんが妊娠したことをボクは知りませんでした」
「そんなことはどうでもいいけど、マサシは美芳さんと付き合えばよかったんだよ」
マサシががばっと起きあがり、布団の上に座った。
「しーちゃんは、どうしてそういうこと言うんですか。ボクはしーちゃんが大好きだって言ってるじゃないですか。森下さんなんて、どうでもいいんです」
「マサシは、アタシがどういう人間か知らないから、そんなこと言ってんだよ」
「どういう意味ですか」
しず子は突然ひらめいた。
(今だ。チャンスは今しかない。あのことを話して、それでマサシとは終わりにしよう)
しず子は意を決した。
「教えてあげるよ。アタシがどうしてスカート履かないか、その理由を…」
しず子は天井を見つめながら、大きくため息を吐いた。そしてあの夏のことを話し出した。自分でも驚くほどに、しず子は出来事を克明に話した。まるで他人事のように、しず子は天井を見続けながら、淡々と話をした。話しているうちに、だんだん涙が込み上げてきた。
(これで、マサシとは本当に終わりだ)
そう思うと、涙がどんどん溢れてきた。
今でも時々、しず子は夏の出来事を夢に見ていたのだった。その悪夢は必ずマサシがしず子を捨てて出て行ってしまう場面から始まり、杉山におさえつけられて、何度も何度も汚されている自分を天井から見ている場面で終わるのだ。うなされて目覚めると、しず子はすぐにマサシを探す。暗闇の中でマサシがスヤスヤ寝ているのを確かめると、しず子はようやく落ち着くことが出来るのだった。
(事実を知ったら、マサシはいなくなっちゃう)
でも、いつか必ず言おうと、しず子は決めていた。最初の計画ではマサシが大学入学で東京に旅立つ日にそのことを話し、それでマサシとの関係を終わらせようと心に固く誓っていたのだ。計画は大幅に狂った。でも今言わないと、マサシがダメになってしまう気がしていた。
(これ以上、マサシをアタシの巻き添えにすることはできない。一日でも早く、マサシは新しい人生を始めないとだめだ)
しず子は必死になって涙を堪え、話を終えた。
「驚いたでしょ。アタシはそういうバカな女なんだよ。マサシには想像もつかない、ちゃらい不良女なんだよ」
マサシがベッドに近づいてきた。
「もういいですよ。しーちゃんは全然悪くないじゃないですか。それより殺されなくてよかったです。殺されていたら、ボクはしーちゃんに会えなかった」
「その方が良かったじゃない。はっきり言ってよ。これでアタシのことが嫌いになったでしょ?」
「なりません。話はちゃんと聞きました。でもボクは今でも、しーちゃんが大好きです。だから今の話は忘れましょう。ボクも忘れます」
「嘘つき。マサシの嘘つき」
しず子は泣き出した。声を上げて泣き出した。
「しーちゃん、こっちへ来て下さい。ボクの隣で寝て下さい」
マサシが言った。その声が優しかった。その声は、いつもと変わらないしず子を癒す声だった。
「やだよ。…マサシがこっちへ来てよ」
マサシがベッドの中に滑り込んできた。しず子の隣にぴったりと寄り添うと、マサシはしず子のお腹をゆっくりと撫でた。
「もうすぐ子供も生まれます。ボクたちは夫婦なんですよ。ボクはしーちゃんから絶対に離れませんからね。しーちゃんも言ってじゃないですか。マサシはアタシのストーカーだって。ストーカーだから一生、しーちゃんにくっついて離れませんからね」
しず子が笑った。泣きながら、嬉しくて、しず子は笑った。そしてゆっくりとマサシの方向に寝がえりをうつと、マサシに抱きついた。マサシがしず子の乳房に顔を埋めてきた。
「ごめんね、マサシ。アタシがバカで本当にごめんね」
「しーちゃんは悪くないし、バカじゃないです」
「嘘をついたのはアタシだよ。最初からずっとマサシに嘘をついてきた。でも本当のことを言ったら、絶対にマサシに嫌われると思って言えなかった。ごめんね」
「しーちゃんは被害者です。だから謝る必要はありません」
「あの変態野郎なんかどうでもいいんだ。でもそれを知ったマサシがいなくなっちゃうのが怖かったんだ。ストーカーなのはアタシだよ。アタシがマサシのストーカーなんだ」
「じゃあ、二人ともストーカーですね」
そう言ってマサシが微笑んだ。
「今でも時々、変態野郎にメチャメチャにされる夢を見る。でも、恐いのはその夢じゃなくて、それを知ったマサシがいなくなっちゃうことなんだ。夢の中で、いつもマサシがいなくなっちゃうんだ」
「ボクはどこへも行きませんよ。しーちゃんを愛していますからね」
「マサシ、手をつないで」
マサシはしず子の手を取ると、やさしく包みこんだ。
「こうやって寝れば、もう悪い夢はみませんよ」
「ありがとう」
「でも、しーちゃん。すぐでなくていいから、いつかはスカートを履いて下さいね。忘れるって、そういうことですよ」
マサシの言う通りだった。忘れるとはそういうことなんだと、しず子は思った。
「分かった。いつか履くよ」
「出来ればミニスカートがいいです」
「バカ」
しず子はマサシに思い切り抱きついた。
その夜から二人は同じベッドで、手をつないで眠るようになった。しず子は二度と真夏の悪夢を見なくなった。

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