3.つかの間の逢瀬

からめとられた百合花

百合花が見張られていると言った剛田の言葉は、本当だった。百合花がマンションの玄関を出ると、道の向こう側に黒塗りの車が止まっていて、風体の怪しい男がサングラス越しにこっちを見ているのだ。
(家に来たあの人たちだ。私は本当に見張られている。お父さん、助けて)
百合花は小走りになって、父の眠る病院へと急いだ。
病室では相変わらず、父が深い眠りについていた。ベッドサイドに座った百合花は、じっと父の顔を見つめた。
(この先、私は一体どんなめにあわされるんだろう…)
漠然とした不安と恐怖が襲ってきて、涙が溢れてくるのだった。
その時、病室のドアがノックされた。涙をぬぐいながら見ると、ドアを開けて入ってきたのは、かつて百合花の家庭教師をしていた井上誠だった。百合花が中学生の頃、叔母の紹介で松崎家に家庭教師としてやってきたのが、当時東大生だった井上だった。その明るく誠実な人柄に百合花は好意を抱き、いつしか勉強だけでなく学校や友人関係の悩みを相談するようになっていった。百合花の父も井上を好もしく思っており、百合花が大学に進学し、家庭教師の役目を終えた後も、松崎家への出入りを歓迎していた。こうして父親公認で、井上は百合花の家に出入りするようになり、やがて二人はお互いに恋心を抱くようになっていたのだった。
「お父さんが倒れたと聞いて病院に駆けつけたら、すでに転院されたというので、慌ててここへ来たんだ。ユリちゃん、一体何が起きたんだい」
百合花は父が倒れてからのことを手短に話した。もちろん父の借金のことや、忌まわしい剛田との結婚のことには一切触れなかった。
「ユリちゃん、何か隠してない」
事情を話しながらも、必要以上におどおどとしている百合花の様子を井上は怪しんだ。
「な、なにも隠していません…」
そう言うと、今にも泣きだしたいのをこらえる様な表情で、百合花がおし黙った。
「僕にできることがあったら何でも言って欲しい。君の力になりたいんだ」
「ありがとう。でも井上さんにお願いできることはないんです」
百合花の目に涙が溢れてきた。そんな百合花の様子を見て、井上はそっと百合花を抱きよせた。
「あっ」
井上の突然の行動に、百合花が体を固くした。
「こっちを向いてごらん」
そう言うと井上は、静かに百合花の唇を奪った。予想もしていなかった井上との初めての口づけに、百合花はとまどいながらも心から安らぎを感じた。井上が背中に回した腕に力を込めて、百合花を強く抱きしめた。百合花は両の乳房が井上の厚い胸板に押し付けられるのを感じていた。思わず百合花も井上の背中に腕を回し、ぎゅっと抱きついた。やわらかい乳房が潰されて、井上の胸板に吸い付くように広がっていくのが分かった。
(ああ、このまま時を止めて、井上さんの腕の中に全てをゆだねたい)
百合花はそう願ったが、それはかなわない夢だった。
「百合花ちゃん、知ってると思うけど、ずっと君のことが好きだったんだ」
井上はそう囁くと、再び唇を重ねてきた。百合花は自ら唇を開くと、舌をそよわせて井上の舌を誘った。そして求めに応じて遠慮がちに入ってきた井上の舌を捉えると、それをゆっくりと吸い上げるのだった。井上は百合花の積極的な反応に一瞬驚いたが、自らも本能に身を任せて、ウエストに回っている両腕を下ろして、百合花のお尻に両手をあてがった。
「ああぅん」
お尻をまさぐられる恥ずかしい感覚に、百合花が反応した。それを足掛かりに、井上は両手に力を込めて、まるまるとした百合花のお尻を抱き寄せ、その肉をぎゅっと握りしめるのだった。
「あああ」
百合花は体をそらすと、下半身を井上に密着させた。井上の固くなっているものが、百合花の下腹に押し付けられた。百合花は本能的にそれが嬉しくて、井上の股間に下腹を擦りつけるように挑発した。百合花の肉感的な反応を体で味わいながら、井上は片方の手を百合花の胸へと伸ばしていった。そして百合花の乳房をじんわりと握り込むのだった。むっちりとした乳房の肉感が、井上をたまらない気持ちにさせた。
「ユリちゃん、愛してるよ」
そう囁きながら、井上はこねるように乳房をまさぐり続けた。
「はぁぁ」
思わず百合花の口から、ため息が漏れた。
(ああ、私の全てを今すぐ奪ってほしい。でもダメだ。ダメ。こんなことしたら井上さんに迷惑をかけてしまう)
本当は今すぐここで、井上に処女を奪って欲しい。しかし百合花はその思いを断ち切った。ゆっくりと井上の胸を押し返すと、唇が離れた。
「ごめんなさい。実は私、もう結婚したんです」
「ええっ?」
突然の告白に井上が驚いた。
「もう二度と会えません。さようなら」
甘い夢のような口づけの余韻を打ち消すように、百合花は井上を振り切って病室を飛び出した。

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