草壁しず子は四歳年上の兄と五歳年下の弟にはさまれた草壁家の一人娘として、漁師町に生まれた。
草壁家は代々続く漁師の家柄だ。しず子の父親も腕のいい漁師で、小さいながらも自前の船を持ち、母親は家事の傍ら鮮魚加工工場に勤めるという、この町では典型的な一家だった。
父親譲りで幼い頃から身体が大きかったしず子は、兄のマモルと女だてらに取っ組み合いの喧嘩をするなど、気の強さは天性のものだった。小学校に入る頃になると、さすがに兄にはかなわなくなったが、負けても決して泣かないというのがしず子の信条だった。
のちに町で伝説の不良とうたわれるようになる喧嘩名人の兄を相手に磨いたしず子の実力は、同い年の男子でもかなう者がなかった。
しず子が小学五年生になった時、そんな彼女に転機が訪れた。街の市民会館に当時人気のアイドル歌手がやってきたのだ。父親が魚協のつてをたどって手に入れてくれた特別チケットで、しず子はそのコンサートを最前列で見た。
ステージに現われたリナ・アンド・スリーというアイドル・グループは、17歳になるボーカルのリナを中心にした女の子四人組のダンス・コーラス・ユニットで、小学生から高校生まで熱狂的なファンを抱えていた。リナの圧倒的なボーカル力とグループが奏でる美しいハーモニー、そして光とスモークの中でダンスを決める華やかなステージに魅せられたしず子は、その時から自分もアイドルになりたいと夢見るようになった。
(センターでソロをとるアイドルになるんだ)
しず子はアイドルになるべく、早速行動を開始した。
まず、それまでは男勝りでズボンしか履かなかったのが、急にスカートを履いて学校にいくようになった。天性の乱暴ぶりも陰をひそめ、男子に腕力で立ち向かっていくようなもめ事も起こさなくなった。
もっともこの年頃になると、男子と女子は体格や運動能力の差がじょじょに現われてくるので、自然と女の子は女の子らしくなってくるものだ。しかしそれまでのしず子は刈り上げスレスレの短髪で、男子どもを腕力で牛耳っていたので、あまりの変わりように周囲は驚いた。
(アイドルはやっぱりポニーテールだ)
憧れのリナの髪型がポニーテールなので、しず子はポニーテールを目指して髪を伸ばし始めた。髪が充分に伸びるまではピンクの髪留めをつけたり、リナのトレードマークであるリストバンドをつけてみたり、似合っているかどうかは別にしても、しず子はアイドルの夢に向って順調なスタートを切ったのだった。
小学校を卒業する頃に、しず子は170センチ近くの長身になっていた。もっとも父親は180センチ超、兄にいたっては190センチに近い大男だったので、周囲がそれほど驚くことではなかった。しかし、しず子は大柄な自分が大嫌いだった。
(このままじゃ2メートルになっちゃう。大女じゃ、アイドルになれないよ)
そう思うと容赦なく伸びる自分の身長がうらめしかった。
家族や近所の人々は身長を気にしているしず子をからかって、わざとバレーボールやバスケットなどの長身スポーツを勧めるのだが、しず子は絶対に首をたてに振らなかった。
(あんな汗臭いのは絶対にいや。私は華やかなステージのスポットライトを目指すんだ)
もともと運動神経はずば抜けていたので、この時にしず子が長身スポーツに転じていたら、ひょっとしたらオリンピックに出ていたかもしれない。しかし当のしず子はアイドル一直線で、小学校のクラブも軽音楽クラブと徹底して運動を避けていた。
身長とともに、しず子は身体も女の子らしく発育した。小学4年生の時に急に胸が出てきて、さすがに慌てた母親がブラジャーを買い与えたので、しず子は学年で最初にブラジャーをした女の子という栄冠(?)を手にした。そして中学に入る頃には、立派なDカップ娘になっていた。
つまりスタイルだけならしず子は、グラビア・アイドルの条件をすでにクリアしていたのだ。背も高く、手足も長く、しかも巨乳。ちょっといけそうな感じだった。
しかし、しず子はアイドルになるには致命的な欠点を抱えていた。
まずしず子は音痴だった。それも並はずれての音痴で、しず子の歌は歌唱ではなく朗読と言った方がいいほどだった。そのために軽音楽クラブでは、いつもその他大勢のハモりしかやらせてもらえず、あこがれのセンターでソロをとることはなかった。しず子の音痴は父親、祖母と三代続く筋金入りのものだったので、矯正するのは、ほぼ絶望的だった。
さらにアイドルへの道を阻むのは、しず子の顔だった。歯並びもまずまずで笑うとハート型に開く口元は愛らしいのだが、小鼻がやや横に広く上を向いており、目はキョロっとしたドングリまなこで、はっきり言うとブタ寄りの狸顔なのだ。
毎日、手鏡を見ながら、しず子は可愛い表情の練習に励んだ。ニコリと笑うと意外と愛嬌があって、愛らしい感じもする。しかし真面目に澄まし顔をすると、やっぱりブタっぽいのだ。
だが、この顔の問題に関しては、しず子は解決の奥の手を考えていた。それは美容整形だ。
(いざとなったらデビュー前に整形すればいいんだ)
そう思いついたしず子は次の日から毎朝早く起きて、近所を散歩しながらゴミ置き場に棄ててある女性雑誌を拾いまくった。そして雑誌に差し込まれている美容整形の特集記事や広告を切り取るとファイルしていった。金銭感覚が鋭く、一口でいえばケチなしず子は、そのためだけに雑誌を買うことがいやだったのだ。
中学に上がる年の春、しず子はさらに重大な問題に直面した。背は170センチ超で、胸もDカップに育っているのに、あるべき場所に毛が生えてこないのだ。この問題はアイドルになるには差し支えないのだが、女の子としてはかなり大きな悩みだった。
もともと体毛が薄いせいか、しず子は眉毛も薄かった。それは母親の化粧台からくすねたアイブロウを使い、前髪で隠すことで何となくクリアできた。その他の腋の下や二の腕や脛に毛が生えてこないのは、手間が省けるので喜ぶべきことだった。しかし、肝心の股間もいつまでたってもツルツルなのだ。小学校中学年までならいざしらず、ちょっと見は高校生と遜色がないのに、アソコがツルツルというのは困るというか、自分でも気味が悪かった。
しず子は風呂場で自分の裸を鏡に写しては悩みに悩んでいた。それとなく情報を集めると、同級生にはフサフサな者もいるらしかった。かといって母親に相談するには恥ずかし過ぎる。思い悩んだ末に、しず子は大好きな婆ちゃんに相談することにした。しず子は婆ちゃんっ子で、困ったことや分からないことは母親ではなく、必ず婆ちゃんに相談するのだ。
しず子の相談に、婆ちゃんは即答した。
「そりゃしず子、遺伝だわ」
「えっ、婆ちゃんもツルツルなの?」
「バカ言え。わたしゃフサフサだ」
「じゃあ、お母さん?」
「いや、そうじゃなくてお前のお母さんのお母さんだよ。そこらがきっとツルツルなんだろ。隔世遺伝って言って、お母さんを飛び越してお前に出たんだ。つまり先祖がえりだね」
「なにが先祖がえりだよ。よりによってそんなところにハゲ先祖が出なくてもいいのに」
音痴と同じく、またしても遺伝の壁がしず子の前に大きく立ちはだかった。
でもよく考えると、婆ちゃんの言うことは憶測に過ぎなかった。隔世遺伝を確かめようにも、母方の祖母はとっくに死んでいたからだ。しかし確かめたところで、何の解決にもならないのも確かだった。
「毛は剃ると濃くなるから、剃ってみろ」
婆ちゃんの入れ知恵で、しず子は父親の使い捨てカミソリをくすねては、毎晩風呂場で股間を剃ることにした。剃ると言っても産毛のようなものがかろうじて剃れているのかなという感じなので、効果は期待できなかった。
しかし中学三年に予定されている修学旅行までには、なんとか格好をつけたかった。しず子は密かに剃り続ける決心をした。